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更新日:2021年1月29日

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三島通庸が残した土木遺産

山形県の近代化産業遺産群 三島通庸が残した土木遺産

山形の近代化産業遺産には、随道(トンネル)やアーチ型石橋など、多くの土木遺産が含まれる。これらは初代県令・三島通庸が残したもので、隣接県を結ぶ道路や県内の基幹道路など、道路交通網の整備を行ったものである。

栗子隧道の写真栗子隧道(米沢市)⇒詳細を見る

『栗子隧道』は、明治初期に「東北地方の産業復興の基盤」として建設された山岳トンネルで、当時としてはわが国で最長の隧道であった。首都圏と東北地方を結ぶ大動脈である栗子隧道の開通は、物流を安定させて経済の発展を促し、人々の生活に豊かさをもたらした。

関山隧道の写真関山隧道(東根市)⇒詳細を見る

『関山隧道』は、明治政府の殖産興業政策の一環であった「北日本一の港を目指す宮城県の野蒜新港の建設計画」に連動したもので、太平洋の港と山形県を結ぶ新道として開発された。
政府の政策により計画されたこの新道は、多くの地域住民にも開発が望まれていたものであった。この新道の完成は、山形県の開発と発展に大きく寄与した。

片洞門の写真片洞門(小国町)⇒詳細を見る

『片洞門』は、置賜地方と新潟県を結ぶ小国新道の桜川渓谷に位置する。この渓谷は、かつては猿獣さえも容易に通れない断崖絶壁の谷間であった。旧十三峠も避けていた険しいルートであったが、初代県令三島通庸は断固としてこの渓谷の開削に挑戦した。この小国新道の開通は、小国はもちろん置賜地方と新潟県との交通・文化の進歩に大きな貢献をもたらすことになった。

吉田橋の写真吉田橋(南陽市)⇒詳細を見る

『吉田橋』は、南陽市小岩沢の前川に架かるアーチ式の石橋で、工事は地元の石工・吉田善之助が中心になって行った。吉田橋の名は、石工の名工・吉田善之助の名から採られたもので、吉田は他にも堅磐橋、中山橋、栗子トンネル工事、片洞門など、明治時代の重要な道路開削、橋造築に優れた力を発揮した。

堅磐橋の写真堅磐橋(上山市)⇒詳細を見る

『堅磐橋』は、上山市川口の前川に架かる西洋風の二連のアーチ型石橋で、この石橋は「川口の眼鏡橋」と称された。石橋の出来ばえが見事であったために、竣工した当時は見物人で賑わい、橋の袂には茶屋もできたと言う。現在は旧道となっており、公道から外れて、国道13号線の脇に保存されている。

中山橋の写真中山橋(上山市)⇒詳細を見る

『中山橋』は、上山市中山地内のカラジュク川に架けられたアーチ式の石橋で、親柱には「奈可やまはし」と陰刻されている。アーチの石組は二重になっており、その上に積まれた石の層も厚く要石も大きい。重厚で堅牢な造りであるが、周辺の風景に溶け込む姿は美しい。

新橋の写真新橋(上山市)⇒詳細を見る

『新橋』は、羽州街道・楢下宿場の金山川に架かる重要な橋であったが、かつては木の橋で洪水のたびに流失してしまい、その都度の修理架け替えは大変であった。そこで、地元住民は洪水でも流れない石橋架設の請願を出し、山形県の交通網の近代化を推進する三島通庸は、その要望を即座に受け入れて完成したものである。

覗橋の写真覗橋(上山市)⇒詳細を見る

『覗橋』は、上流の新橋が架橋された翌々年に架け替えられた。新橋の架橋に関わった三島通庸は、覗橋の竣工した明治15年には山形県令の職を解かれて福島県令となっていたが、この橋も上流の新橋と同様に西洋の土木技術が取り入れられており、三島通庸が関係していると思われる。

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