更新日:2021年12月3日

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作文 中学生部門 優秀賞(1)

一緒にがんばろう
山形市立金井中学校 1年 
高木 大和


 伝一朗じいちゃんは、僕の母の父で庄内の鶴岡市に住んでいます。水道工事の仕事をしていました。僕が1歳半の時に、伝一朗じいちゃんが家で食事中に倒れて、後遺症が残ってしまいました。原因は脳出血で、命は助かったものの、体の右側の手足が不自由になってしまいました。それまでは朝から晩まで水道の工事をしたり、町内会の役員をしたり、明るく元気に生活をしていたそうです。それが病気で、それまで自分一人でできていたことができなくなってしまいました。いつも誰かがついていないと、生活することができません。車いすや杖を使わなければ、移動することもできない生活になってしまったのです。
 僕が鶴岡の家に行った時、伝一朗じいちゃんの介助の手伝いをしました。伝一朗じいちゃんやてつ子おばちゃんの役に立ちたいとおもったからです。
「おう。おう。」
家中に響くじいちゃんの声。てつ子ばあちゃんを呼ぶ声で、トイレに行く合図です。てつ子ばあちゃんと一緒に、トイレへの移動を手伝いました。僕は、戸を開けたり、中に入るのを手伝ったりしました。気をつけたことは、じいちゃんのペースに合わせて移動することです。もし、僕が速く動くとじいちゃんが転ぶかもしれないからです。
 食事の時は、じいちゃんが使うエプロンやスプーンを準備しました。それを使ってばあちゃんが食べさせます。ばあちゃんは食事中、
「ゆっくり食べろ。」
といつも言います。じいちゃんが早く食べようとするからです。のどにつまらせたり、むせたりすることがあります。いつも食事の介助をして、ばあちゃんは大変だと思いました。
 僕は、伝一朗じいちゃんのような障がい者を見ると、かわいそうだなと思っていました。なぜなら、いつも自分のやりたいことができなかったり、しゃべることが上手にできなかったりしているからです。伝一朗じいちゃんは何もできないと思っていました。トイレの場所もわからなかったり、食事も一人でできなかったりするからです。
 しかし、何度かじいちゃんの家に行くと、じいちゃんが自分でトイレに行くことがきるようになっていました。食事も自分で食べることができるようになりました。食後、残った食材を、不自由な手を使って冷蔵後に入れようとしていました。きっと、ばあちゃんの片付けを大変だと思い、自分ができることをやりたい、ばあちゃんを助けたいと思ったのでしょう。このじいちゃんの姿を見て、障がい者は何もできない、かわいそうという僕の考えは間違いだと思いました。障がいのある人も、僕たちと同じように人の役に立ちたいと思っている。僕はそう思いました。
 伝一朗じいちゃん達と生活をしてみて、体が不自由でも、自分ができることを精一杯している姿に僕は多くのことを学び、教えてもらったと思います。じいちゃんを僕は尊敬しています。大切なことをその姿で伝えてくれました。これから僕は障がいをもった方がいたら、学校で困っている仲間に当たり前にするように、「大丈夫ですか。」と、声をかけたいと思います。そして、その方が望むなら自分ができる手助けを精一杯していきたいと思っています。障がいがあってもなくてもできることを自分で精一杯することや、助けが必要なら、手を貸してあげることは人として当たり前のことだというのを僕は伝一朗じいちゃんから教えてもらいました。だから目の前の誰にでも手を差し伸べられる、人の役に立つ人間に僕はなりたいです。そして、みんな一緒にこれからがんばっていきたいです。

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